緑の脳味噌

僕とイワタバコの蜜月はすぐに終わりを迎えた。

なにせ花が小さくて葉の裏に一個しかないのである。その花もすぐに終わり、すっかり僕の興味は失せた。
イワタバコはサニーレタス然とした軟派な葉物にしか見えなくなり、当初は山野草だからと一日に二回行っていた水やりも他の植物と同じタイミングでしか施さなくなった。明らかに足りていないはずだ。
だっていくら葉の裏の内側の株元をフワフワした毛玉で着飾っていて粋、江戸っ子みたい!と言ったところで外から見たらただのサニーレタスにしか見えないことに変わりは無い。そして勿論僕は外からイワタバコを見るのだ。
ひとつ誉めてやるならば、サニーレタスみたいな葉っぱのくせして、イワタバコには目立った害虫がつかなかった。もし毛虫の一匹でもその葉に見つけたならば、虫嫌いの僕はおそらく瞬時に何の迷いも無く鉢ごとゴミ袋に放り込んでいただろうことは想像に難くない。
そこはイワタバコのほうでも察して、必死に虫を遠ざけていたのかもしれない。
こうしてイワタバコは視界に入っても特に意識しない程度の、いわば背景的ぞんざいな扱いを受け続け、時は過ぎた。

冬。イワタバコのサニーレタス然とした葉もやはり自然の摂理で枯れ落ちた。僕はむしろ清々したものだ。やっとあの軟派なサニーレタスを見ずに済む、と。
その頃になると僕はもはやイワタバコが一年草であったか多年草であったかすら思い出せない。葉が無いために他の植物に水やりを施す際にもイワタバコに気づかないことが増えた。二、三回に一回程度しか水を与えなかったかも知れない。もう完璧に背景である。壁模様の風呂敷に隠れる忍者のようなものだ。
ちょうどクリスマスローズにハマッて買い集めていた時期だし、そちらは成長期真っ只中である。正直イワタバコがどうなろうと俺の知った事ではなかった。もってけ泥棒の心境であった。

だがある時、ふとした拍子にイワタバコの鉢を覗いてみた。すると、葉が取れたことによって露出した茶色く薄汚れた、蚤でもいそうな汚い毛玉(元々は白くてフワフワだったもの)の下から、恐ろしいものが顔を出していたのだ!

緑の……脳味噌!

僕は吐きそうになった。なんなのだこのおぞましい物体は!全身に鳥肌が立ち、脳裏には昔泣きながら食べることを強要された鱈かなんかの白子の味噌汁(当時インディー・ジョーンズの映画にちなんで猿の脳味噌と呼んでいた)の映像がエンドレスリピートした。
完全に呪いである。数々の酷い仕打ちを呪って、イワタバコが自分の命と引き換えに怪物を召還したに違いなかった。この緑色の脳味噌はそのうち夜な夜なナメクジのように動き出し僕を襲うのだ。寝ている僕の口や鼻から体内に侵入するのだ。
僕は恐怖した。髪が伸びる呪いの日本人形なんかは捨てても戻ってくるという。もしイワタバコを捨てて戻ってきた場面を見てしまったら、と考えると恐ろしくて捨てる気も起こらなかった。その時には緑の脳味噌は這いずりながら妙に高音の鳴き声まで発するに違いない、恐ろしすぎる……僕は更なるイワタバコの復讐を恐れたのだった。
ただ単に「ごめんなさいごめんなさい」と心の中で繰り返しながら他の植物同様に水をやるしか供養の方法は考えつかなかった。


……恐怖の日々を過すうちに、しかし、驚くべき変化が起こった。
春が近づくにつれ、緑の脳味噌はグロテスクな形状のまま肥大するのではなく、日差しと共にだんだんと脳味噌の皺が緩みだし、その身体を薄く延ばし始めたのだ。それは不思議な光景だった。
その頃には鈍感な僕にもわかった。緑の脳味噌だと思っていたものは、イワタバコの葉だったのだ。

しかし、なんという芽吹き方……。こんな葉の出方は今まで見た事がない。驚きの植物である。
僕は俄然イワタバコに興味を持って水をやった。まあ興味があろうとなかろうと似非園芸家に出来る事は水遣りしかないんだ。


そしてすっかり元のサニーレタスボディを取り戻したイワタバコは心なしか去年より一回り大きいサニーレタスだった。あんなぞんざいな扱いを受けたにもかかわらず、グレることなく、しっかり成長していたのだ。これなら必ず花も咲くだろう。
……しかし、咲いたとしても内側に一輪……、それが僕の知っているイワタバコの花だ。多少、いやかなり地味だがこの珍しい緑の脳味噌を見れただけでも買った価値は十分にあるではないか!そう思っていた。

ところが!なんか葉の間から鶴の首のようなものが伸びてきたなまたキモイよこいつと思っていると、なんと、こんなことになったのである。

花のなんと満開なことだろうか。
『花は園芸店から持ち帰った時点が一番綺麗』という格言を前に俺が作ったのだけど、この美しさはその格言を見事にぶち壊してくれた。
僕は感動した。
サニーレタスだ花が地味だ緑の脳味噌だ呪いだと罵られ、あんなに酷い扱いを受けたというのに、イワタバコはそんなことおくびにも出さずに、購入当時とは比べ物にならない美しさで咲き誇ってくれたのだ。「育ててくれてありがとう!」とばかりに……なんて純粋な良い子なのだろう……。

植物の成長を前にすると、自分の(世話の)怠けや、あれこれくだらない事を考えて恐れたりしていたのがまっこと恥ずかしい限りである。

驕るな、と。鉢植えであっても、人間が植物に与える影響なんてゼロかもしれないよ、と。

イワタバコはそこら辺の大切な事を僕に教えてくれた素晴らしい植物だ。

彼はまた今年も、スペースの端っこの定位置で、緑の脳味噌をニョッキリと出現させ、春を待っている。